善光寺・門前町に息づく歴史文化と祭礼

門前町の立地と歴史

善光寺は、ゆるやかな南下りの扇状地に位置し、古くから集落が営まれた場所に建てられています。何度も火災にあった善光寺では、江戸時代の再建の際火災を避けるため、本堂を北の空き地に移して土塁どるいで囲み、湯福川を迂回うかいさせました。
 この時に現在の本堂、三門、経蔵が築かれ、本堂跡地には、仮設店舗てんぽである仲見世が広がり、その周囲には宿坊群が連なる現在の町並みの原型ができあがりました。その後も江戸時代末や明治の火災で仁王門や仲見世、宿坊群の多くが被害ひがいを受けましたが、そのたびに再建されてきました。このため善光寺門前町には土蔵や店蔵造りの建造物、防火用の石組水路など、防火対策を意識した跡があちこちに見られます。

善光寺・門前町で営まれる祭礼

江戸時代になると、旅行資金を積み立てて代表者が善光寺へ参拝する善光寺講が各地で組織され、全国からの参拝者が増加しました。受け入れ先となる宿坊は、それぞれが独立した寺院であり、本尊を安置する小御堂おみどう、参拝者が宿泊する庫裡くり、門、中庭などで構成されています。
 現在、大勧進だいかんじんのもとに天台宗25院と大本願だいほんかんのもとに浄土宗14坊の計39軒の宿坊があります。善光寺最大の催事である御開帳ごかいちょうには、他国に出て行う「出開帳でがいちょう」と善光寺で実施する「居開帳いがいちょう」があります。弘化4年(1847)の「御開帳盛んにして御山内繁昌の図」では江戸時代の居開帳の様子がうかがえます。
 現在の御開帳は、数え年で7年に1度ごとに開催され、秘仏である本尊の代わりに本尊と同じ姿の前立本尊まえだちほんぞんが公開され、前立本尊から伸びる「善の綱」が本堂前の回向えこうばしらつながれます。参拝者は回向柱にれることで前立本尊と結縁けちえんしたことになります。回向柱は、松代藩が本堂再建にあたった縁により、今も松代地区から寄進されています。
 また、善光寺の南西に位置する弥栄やさか神社では、門前の各町所有の屋台が門前町内を巡行する天王祭(祇園祭)が行われており、「善光寺祭礼図巻」に描かれた伝統的な祭礼が現在も受け継がれています。

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