里山の恵みを活かした暮らしと粉食

作物と文化・風景

近世から近代にかけ、長野市では米や麦はもとより、様々な作物がつくられてきました。斜面が多い山間地域では麻や和紙の原料となるこうぞなどが盛んにつくられ、それによって豊かになったところでは、細やかな彫刻をほどこした祭礼屋台をつくるなど豊かな文化が育まれてきました。
 近代の長野県は「養蚕ようさん王国」と言われ、長野市でも多くの家がかいこって糸をとる養蚕製糸業に関わっていました。養蚕が不振になった後は、桑畑を果樹園に変え、りんごや桃などの果樹栽培が盛んとなりました。

食文化

長野市では市域の自然環境と生産生業を背景に、特徴的な食文化が育まれてきました。特に、粉食文化はかつての日常的食事、行事食として根付いていました。
 日常的には、米の残りと小麦粉でこねつけを作ったり、だんご汁、ひんのべといった粉食を作り、オコビレ(間食かんしょく)にせんべいなどを食べていました。来客時などにはおぶっこなどのめん類を出していました。
 お盆などの行事にはおやきが食べられました。おやきの作り方には、地域や家ごとに違いがあり、市内には様々なタイプのおやきがあります。このような小麦の粉食だけでなく、まゆだま、やしょうまなど、米粉を使った行事食も親しまれています。

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