にかほ市に残る北前船の痕跡
明治以降、廻船業は衰退して北前船は姿を消していきますが、その最盛期に蓄えられた文化、人々のアイデンティティは、のちに現代に続く産業として再び花開きます。ほかにも北前船の様々な痕跡がにかほ市内に残っています。
にかほ市に残る北前船の痕跡
にかほ市象潟にある浄泉寺や蚶満寺には食野家ゆかりの人物のお墓が建てられています。
食野 庄左ェ門の墓
所在:にかほ市象潟 浄泉寺(浄土真宗)
1792年(寛政四年)春
大時化で塩越港澗口で破船(千年丸)し、庄左ェ門は救助されて船宿の知工家与助宅で療養しましたが五月十三日に死亡。享年五十四才でした。
浄専寺に葬り「釈 榮信」として墓碑が建てられました。

寛政四年五月十三日
俗名 食野庄左ェ門
食野 (刑部)庄兵ェの墓
所在:にかほ市象潟 蚶満寺(曹洞宗)
1792年(寛政四年)11月
食野庄左エ門の遭難から半年後、食野家の持船がまた難破し、庄兵ェも客死しました。
形部庄兵ェは刑部家の四代目で、主家に忠勤をはげみ信用され、刑部家ではあるものの食野の姓を名乗ったものと解されます。

にかほ市に残る北前船の痕跡
にかほ市に現在も残る北前船の痕跡を地図上に表示しました。
画像をクリックすると解説が表示され、タイトルをクリックするとさらに細かい情報が表示されます。
近くに複数の痕跡がある場合はまとめられて点数が表示されます。数字をクリックすると個別の痕跡を確認できます。
北前船関連を含む各種資料の所在は「空からにかほ市を見る」で空中からもご確認いただけます。
平澤齋藤市兵衛家文書
平澤齋藤家に伝わる数千点の古文書で、にかほ市・由利本荘市の江戸時代から明治初期までの年貢米や物資流通の歴史が数多く記録されている一級品の資料です。
食野家との取引や北前船に関する記録が多く含まれていて、更なる研究がまたれています。
デジタルミュージアムでは2,000件以上の古文書画像をご覧いただけます。資料一覧
見どころ資料①:覚/仁賀保内膳内須藤太兵ェ他より食野平次郎、斎市宛

仁賀保内膳から食野、齋藤家への米の引渡し請書です。年貢米を元に食野、齋藤家が藩財政の金子を用立てるという食野、齋藤家と仁賀保両家との密接な関係がうかがえる資料です。
見どころ資料②:覚/仁賀保内膳内齋藤市兵ェ宛

齋藤家が三代にわたって仁賀保内記家に用立金を続けてきたこと、その未返済分の合計が安永九年までに2,738両余に達していたこと、さらに今回内記家の財政不如意による願いによってすべて返上(借金帳消し)したことが示されています。齋藤家の財力がうかがい知れる資料です。