長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻十三 (200頁~)
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正親町
永禄一一年正月二四日
1568
武田信玄、埴科郡本誓寺をして、同寺寺領を安堵せしめ、併せて、同寺に禁制を掲ぐ、
201
正親町
永禄一一年二月一七日
1568
武田信玄、篠原讃岐守等に命じて、当頭人及び役者以外の者の、諏訪社上社高神殿に出入するを禁止せしむ、
203
正親町
永禄一一年
1568
跡部勝忠、平沢豊前守をして、伊那郡虎岩郷内の逐電せる百姓の田畠を沙汰せしめ、その未進年貢を調進せしむ、
203
正親町
永禄一一年
1568
相国寺住持集尭、仁如、畠山政光の請に応じて、所持の盆石に命名し、且つその詩并びに序をつくる、
204
正親町
永禄一一年三月二日
1568
武田信玄、水内郡長沼にあり、是日、越後に攻入らんとし、甲斐法善寺等をして、戦勝を祈らしむ、
205
正親町
永禄一一年三月五日
1568
武田信玄、工藤源左衛門尉をして、筑摩郡深志城普請の人足を催促せしむ、
207
正親町
永禄一一年三月一一日
1568
諏訪社上社三月会、
207
正親町
永禄一一年三月二〇日
1568
依田采女助、佐久郡十二明神社を造立す、
208
正親町
永禄一一年四月三日
1568
依田長繁等、佐久郡諏訪・浅間二所明神社を造立す、
209
正親町
永禄一一年四月三日
1568
是より先、信濃の人栗田鶴寿甲斐にあり、是日、武田信玄、同国善光寺の条規を定め、これを鶴寿に与ふ、
210
正親町
永禄一一年四月四日
1568
武田信玄、諏訪左衛門尉に、筑摩郡栗林の内の地を宛行ふ、
210
正親町
永禄一一年四月五日
1568
武田信玄、赤見七郎右衛門尉に、小県郡五十郷内の地を宛行ふ、
211
正親町
永禄一一年四月七日
1568
諏訪社上社四月会、
211
正親町
永禄一一年四月一五日
1568
結制、相国寺住持集尭、仁如、上堂説法す、
212
正親町
永禄一一年四月一五日
1568
木曽定勝寺、客殿の葺替を始む、尋いで、山門等の葺替を行ふ、
215
正親町
永禄一一年四月二一日
1568
武田信玄、小県郡塩田諏訪社に社領を寄進し、越後境に於ける築城の無事を祈らしむ、
218
正親町
永禄一一年四月二七日
1568
小諸市十二社の社殿、成る、
219
正親町
永禄一一年五月五日
1568
諏訪社上社五月会、
220
正親町
永禄一一年五月一七日
1568
武田信玄、信濃の工人祢津宮内丞等の細工の奉公を賞し、甲府町次の普請役を免ず、
220
正親町
永禄一一年
1568
諏訪社下社、筑摩郡洗馬郷に同社明年常楽会頭役を充つ、
221
正親町
永禄一一年六月三日
1568
武田信玄、越後に攻入らんとし、大井弾正忠に出陣を命ず、尋いで、諏訪社上社神長守矢信真をして、戦勝を祈らしむ、
222
正親町
永禄一一年七月六日
1568
武田信玄、更級郡康楽寺に高札を掲ぐ、
224
正親町
永禄一一年七月一〇日
1568
武田信玄、上杉輝虎の属城水内郡飯山城を攻めて、之を陥る、
224
正親町
永禄一一年七月一三日
1568
武田信玄、木曽通諸宿をして、相摸海蔵寺の荷物運送のため、伝馬を出さしむ、 某、甲府より木曽福島までの伝馬口銭を定むること、 並びに武田信玄、小県郡祢津より甲府までの諸宿をして、伝馬を出し、甲斐長禅寺の荷物を運送せしむ、
226
正親町
永禄一一年七月一七日
1568
武田信玄、上杉輝虎の軍に備へんがため、芦田五郎兵衛尉等信濃諸士の配備を定む、
228
正親町
永禄一一年七月一八日
1568
武田信玄、千曲・犀両河に渡を作り、明日越後に出陣せんとして、その旨を座藤刑部少輔に告ぐ、
229
正親町
永禄一一年七月二六日
1568
諏訪社上社御射山祭、
230
正親町
永禄一一年八月二日
1568
武田信玄、更級郡康楽寺をして、同郡塩崎の地を安堵せしむ、
231
正親町
永禄一一年八月四日
1568
武田信玄、佐久郡法華堂等佐久・小県両郡修験の普請役を免除す、
231
正親町
永禄一一年八月一〇日
1568
水内郡飯山城衆、武田信玄の軍の同郡長沼に在陣し、同城を攻むるを上杉輝虎に報ず、仍りて、輝虎、宇佐美平八郎等に命じて、各地の守備を厳にせしむ、 山城若一王子社領高井郡小菅・水内郡若槻両庄、不知行地となる、
234
正親町
永禄一一年八月一二日
1568
武田信玄、伊那郡阿嶋安養寺に、同寺の旧領同郡阿嶋郷内の地を還附す、
239
正親町
永禄一一年八月一三日
1568
佐久郡堀米秀俊、従五位下に叙せらる、
239
正親町
永禄一一年八月一三日
1568
東福寺宝勝院松月軒主聖澄、月渓、中秋詩会を同軒に催す、相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、その席に列す、
240
正親町
永禄一一年九月一日
1568
是より先、小笠原長時・貞慶父子等、牢浪して摂津芥川の三好長慶を頼る、是日、貞慶、京都広橋国光の妾の邸に赴き、宴席に列す、
241
正親町
永禄一一年九月一六日
1568
佐久郡上原筑前の知行地の検地行はる、
241
正親町
永禄一一年九月二〇日
1568
武田信玄、埴科郡坂城大宮社に、同社領の替地として、坂城郷内の地を寄進す、
253
正親町
永禄一一年一〇月一日
1568
是より先、織田信長、三好長慶を摂津芥川城に攻むるに依り、小笠原長時・貞慶父子、同城より遁る、是日、長時の妻、織田軍のため、同国郡山に捕へらる、尋いで、長時、越後に奔り、上杉輝虎に頼る、
254
正親町
永禄一一年一〇月二日
1568
武田信玄、島津孫五郎をして、水内郡夏川等の本領を安堵せしめ、同郡長沼等の地を新恩として宛行ふ、
257
正親町
永禄一一年一〇月
1568
武田信玄、水内郡西厳寺をして、同寺領長沼の地を安堵せしむ
258
正親町
永禄一一年一〇月三日
1568
武田信玄、高井郡勝楽寺等に禁制を掲ぐ、
258
正親町
永禄一一年一一月一日
1568
伊那郡知久遠重、諏訪社上社に灯油料田を寄進す、
260
正親町
永禄一一年一一月
1568
武田勝頼、高野山成慶院を、伊那郡高遠領内住民の宿坊と定む、
260
正親町
永禄一一年一一月一〇日
1568
武田信玄、信濃善光寺大本願をして、甲府善光寺造立の用材を、甲斐八幡の天神宮に於いて採らしむ、
261
正親町
永禄一一年一一月二一日
1568
是より先、上杉輝虎、今川氏真に和親を通ず、是日、氏真、之に答ふ、尋いで、氏真、輝虎の信濃出兵を望む、
261
正親町
永禄一一年一一月二三日
1568
武田信玄、塩原三朗右衛門尉等に、本領の替地として、安曇郡住吉の内の地を宛行ふ、
263
正親町
永禄一一年一一月二五日
1568
武田信玄、飯嶋長左衛門に、伊那郡春近領内の地を宛行ひ、新在家役を免除す、
263
正親町
永禄一一年一一月二六日
1568
尾崎重信、同重歳、水内郡五束の諏訪社に社領を寄進す、
264
正親町
永禄一一年一一月三〇日
1568
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
264
正親町
永禄一一年
1568
山城聖護院門跡道增、佐久郡大井法華堂祐源に、貝両緒の使用を許す、
265
正親町
永禄一一年一二月一二日
1568
是より先、武田信玄、徳川家康と共に、今川氏真を駿河に攻む、是日、依田信守・信蕃父子等、信玄に属し、駿河薩埵山に戦ふ、
266
正親町
永禄一一年
1568
相国寺雲頂院雲泉軒主集尭、仁如、里村紹巴の請に応じ、小野小町の伝記を書写す、
267
正親町
永禄一二年正月五日
1569
三好長逸等、将軍足利義昭を京都本圀寺に囲む、小笠原信定、長逸方に属し、翌日、桂川に討死す、
269
正親町
永禄一二年正月七日
1569
北条氏照、使僧を上杉輝虎に遣はし、武田信玄の駿河乱入のことを報じ、協力して信玄に当らんことを促す、
272
正親町
永禄一二年正月八日
1569
是より先、秋山信友、信濃勢を率ヰて遠江に入り、同国見付に陣す、是日、武田信玄、徳川家康の抗議により、信友の軍を駿河に退かしむ、
273
正親町
永禄一二年正月一一日
1569
伊那郡藤沢重左衛門、同郡大井弖郷熊野三所権現社を造立す、
275
正親町
永禄一二年正月二七日
1569
今川氏真、上杉輝虎に、北条氏康と和し、信濃に兵を出して、武田信玄を牽制せんことを求む、
275
正親町
永禄一二年二月二日
1569
北条氏康の将遠山康英、氏康父子の旨をうけ、上杉輝虎の将松本景繁等に書を送り、北上野の真田幸隆を討たんことを請ふ、
276
正親町
永禄一二年二月六日
1569
北条氏康・同氏政、上杉輝虎と和し、輝虎の信濃出兵を求めんとして、由良成繁・松本景繁等の尽力を求む、
278
正親町
永禄一二年二月六日
1569
上杉輝虎、信濃の人岩船長忠等に命して、武具携帯の地下人を徴せしむ、
279
正親町
永禄一二年二月一一日
1569
是より先、大日方信竜斎、子上総介を駿河興津の武田信玄陣所に参陣せしむ、是日、信玄、その著陣を信竜斎に報ず、
280
正親町
永禄一二年二月二四日
1569
武田信玄、水内郡芋川親正に書を送り、雪解を待ちて、越後に出陣すべきことを告ぐ、
281
正親町
永禄一二年二月二七日
1569
飛騨三木良頼、上杉輝虎の使者信濃の人村上国清に近況を報ず、
281
正親町
永禄一二年
1569
相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、同寺常徳院小補軒の徒景拾得甫、の請に応じて、その師前相国寺住持洪臻春叔、の頂相に賛す、
284
正親町
永禄一二年
1569
佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、正安禅門・養泉禅門・浄光禅門・春最禅門何れも姓名闕く、等のために秉炬仏事を行ふ、 武田信玄、全祝北高、を佐久郡竜雲寺に請じ、同寺の条規を定む、
286
正親町
永禄一二年三月三日
1569
北条氏康、上杉輝虎に書を送り、水内郡飯山口に出陣し、武田信玄を牽制せんことを求む、
291
正親町
永禄一二年三月七日
1569
北条氏政、遠山康光を上杉輝虎の許に遣はし、武田信玄との対陣の切迫せるを告げ、急ぎ信濃に出兵せんことを求む、
294
正親町
永禄一二年三月一七日
1569
諏訪社上社三月会、
297
正親町
永禄一二年三月二三日
1569
相国寺鹿苑院塔主集尭、仁如、送別の詩をつくりて、東福寺宝勝院松月軒主聖澄月渓、の豊後に赴くに餞す、
299