長野県立歴史館 信濃史料

「信濃史料」 巻十七 (200頁~)


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天皇 年月日 西暦 記事
後陽成天正一八年一〇月二九日1590平沢道正、伊那郡虎岩郷の給人知行名寄を指出す、202
後陽成天正一八年1590筑摩郡和泉郷、同郷の名寄帳を記す、211
後陽成天正一八年一一月一〇日1590是より先、上杉景勝の領羽前庄内に一揆あり、信濃の人立屋喜兵衛、之を鎮圧す、是日、直江兼続、之を賞し、諸役を免ず、214
後陽成天正一八年一一月一五日1590石川康正、某を安曇・筑摩郡両郡のかわた頭となす、 かわたに関する文書214
後陽成天正一八年一一月三〇日1590石川康正、筑摩郡兎川寺をして、寺領を安堵せしむ、 石川康正光長、の臣渡辺長次、筑摩郡兎川寺某の同寺住持職継嗣のことを康長に奏達す、216
後陽成天正一八年一二月一日1590真田昌幸、小山田平三に、小県郡村松郷の地を与ふ、218
後陽成天正一八年一二月三日1590真田昌幸、矢沢頼幸に、信濃知行地の賛地として、上野の地を宛行ふ、尋いで、折田軍兵衛等に、上野の地を宛行ふ、218
後陽成天正一八年一二月五日1590篠治秀政、伊那郡建福寺に地を寄進す、221
後陽成天正一八年一二月六日1590羽柴毛利、秀勝、栗田永寿をして、甲斐善光寺を支配せしむ、221
後陽成天正一八年一二月六日1590日根野高吉、諏訪郡古田村内に鷹巣山を定め、田中平右衛門をして、之を取締らしむ、 高吉、諏訪の郡中大工三十三人の夫役を免ず、222
後陽成天正一八年一二月八日1590日根野高吉、諏訪社下社神宮寺に地を寄進す、224
後陽成天正一八年一二月一〇日1590仙石秀康、秀久、佐久郡松原大明神に、地を寄進す、224
後陽成天正一八年一二月一四日1590縫殿左衛門、姓闕く、筑後姓闕く、に田畠を売る、 頼固の筑後宛書状225
後陽成天正一八年一二月一八日1590豊臣秀吉、下野宇都宮在陣の羽柴秀次に書を送り、徳川家康と聯絡して、蒲生氏郷を救援せしめ、信濃・甲斐等の衆をして、兵糧を準備せしむべきを報ず、227
後陽成天正一八年一二月一九日1590真田昌幸、上野巌鼓大宮に、検地増分を寄進す、尋いで、田村雅楽尉等に検地増分を与ふ、228
後陽成天正一八年一二月二〇日1590諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、232
後陽成天正一八年一二月二一日1590篠治秀政、平沢道正をして、金子を調へしむ、 篠治秀政、道正をして、年貢を皆済せしめ、同人をして、軍馬人足を調へしむ、233
後陽成天正一八年一二月二六日1590真田信幸、塚本肥前守に上野岡谷の地を与ふ、234
後陽成天正一八年1590真田昌幸、金井金右衛門に小県郡房山の地を給す、235
後陽成天正一八年1590高梨頼親、同内膳亮に幕の使用を許す、235
後陽成天正一八年1590日根野高吉、諏訪郡塩沢村を検地す236
後陽成天正一八年1590高井郡興国寺住持順京、高山、小県郡安楽寺の寺領を記す、 安楽寺寺領注文案244
後陽成天正一八年1590諏訪社下社大祝金刺某、会津諏訪社某に鹿食を允可す、248
後陽成天正一八年1590諏訪社上社、同社今年の頭役料を記す、248
後陽成天正一八年1590北安曇郡小谷村の地蔵菩薩像、成る、250
後陽成天正一九年正月五日1591高井郡井上達満、上杉景勝に賀歳す、是日、景勝、之に答謝す、251
後陽成天正一九年正月一五日1591勝斎、姓闕く、伊那郡鉾持大権現に地を寄進す、251
後陽成天正一九年正月一九日1591仙石秀康、秀久、佐久郡小諸城に入る、 秀康、井出善三郎に佐久郡小宮山の地を給す、252
後陽成天正一九年1591某、水内郡守田明神の呪文を書す、253
後陽成天正一九年1591東恕、忠室、梵達不舶、に仏祖正伝勃陀勃地参の切紙を付与す、254
後陽成天正一九年1591木曽御岳権現弥宜滝六郎右衛門、湯囃祝詞を書す、254
後陽成天正一九年閏正月一九日1591真田昌幸、河原綱家に、小県郡窪林の地を宛行ふ、256
後陽成天正一九年二月一二日1591是より先、佐久郡竜雲寺住持順貴、賤庵、更級郡昌竜寺を開く、是日、順貴、寂す、256
後陽成天正一九年二月一五日1591高井郡興国寺住持順京、高山、曹渓伝授儀式切紙を将奕に授与す、257
後陽成天正一九年二月一五日1591安曇郡満願寺住持尊応、不動護摩供等を勤修す、257
後陽成天正一九年1591篠治秀政、領内に条目を頒つ、 毛利秀頼の道正宛書状259
後陽成天正一九年三月一〇日1591勝斎、姓闕く、伊那郡建福寺奉公の本鉾持衆に諸役を免除す、262
後陽成天正一九年三月一八日1591小笠原貞政、秀政、宇留賀与兵衛に知行を加増す、263
後陽成天正一九年1591佐久郡浅間山、噴火す、264
後陽成天正一九年四月六日1591小県郡野倉村惣帳、成る、264
後陽成天正一九年四月一〇日1591諏訪社上社神宮寺尊興、安曇郡満願寺に参篭し、是日、満願す、271
後陽成天正一九年四月一五日1591水内郡大安寺住持正盛、安室、密参透句目録を書写す、272
後陽成天正一九年四月二二日1591小笠原貞慶、信濃に下国す、是日、犬飼久知に書を通ず、272
後陽成天正一九年1591高井郡小菅社の再興、成る、273
後陽成天正一九年五月一四日1591仙石秀康、秀久、佐久郡安養寺に寺領を寄進す、274
後陽成天正一九年1591松平依田、康真、康寛、伴野隼人に、上野に於いて知行を与ふ、275
後陽成天正一九年1591高井郡興国寺住持順京、高山、順尭に達磨知死期切紙を付与す、275
後陽成天正一九年六月七日1591加藤光泰、甲斐山之口衆をして、信濃伐採の甲斐久遠寺用木を勘過せしむ、276
後陽成天正一九年七月一二日1591安曇郡満願寺住持尊応、日天法等を勤修す、276
後陽成天正一九年七月一五日1591上杉景勝、栗田永寿の岩代に於ける戦功を賞す、277
後陽成天正一九年七月二二日1591豊臣秀吉、明年朝鮮に出征せんとし、軍勢の配備を定む、真田昌幸・石秀康長等、肥前名護屋在陣を命ぜらる、278
後陽成天正一九年八月一日1591豊臣秀吉、上野藤岡の松平依田、康真康寛、に命じ佐竹義重上洛の伝馬人足を出さしむ、282
後陽成天正一九年八月一日1591安曇郡満願寺尊応、阿遮羅明王供を勤修す、283
後陽成天正一九年八月三日1591小笠原貞慶、奥羽の陣より、書を二木寿斎重高、に送り、豊臣秀吉の諸将国替の計を報ず、283
後陽成天正一九年八月一三日1591細萱長知等、安曇郡青木郷の課役を定む、284
後陽成天正一九年1591東恕、忠室、梵達不舶、に倶胝一指禅大事を伝授す、285
後陽成天正一九年一〇月四日1591日根野高吉、後庁某に、諏訪郡北大塩村等の地を給す、286
後陽成天正一九年1591小県郡下之郷大明神、同社の条規を定む、287
後陽成天正一九年1591筑摩郡麻績神明宮の懸佛、成る、287
後陽成天正一九年一一月一五日1591毛利秀頼、伊那郡大草の内諸村の検地を行ふ、尋いで、同郡上穂・野宇・大畑村等の検地を行ふ、 伊那郡上河路村検地帳及び同郡縄帳288