長野県立歴史館 信濃史料
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後陽成
慶長六年正月九日
1601
保科正光、越前北庄より下総多胡の黒河内長三に書を送り、伊那郡高遠移転のことを取計らはしむ、 正光、松沢喜右衛門尉をして、高遠より多胡へ遣はす夫丸等に扶持を給せしむ、
1
後陽成
慶長六年正月一八日
1601
是より先、筑摩郡広沢寺、下野宇都宮在陣の小笠原秀政に賀歳す、是月、秀政、之に答報す、
4
後陽成
慶長六年
1601
徳川家康、知久則直等に、伊那郡に於いて知行を与ふ、
5
後陽成
慶長六年二月三日
1601
徳川家康、木曽衆に下総・木曽の替地として、美濃に於いて知行を与ふ、
7
後陽成
慶長六年二月一六日
1601
大久保長安、木曽川沖乗のことを山村道勇良候、に沙汰せしめ、美濃錦織等諸村の庄屋等をして、諸役を勤めしむ、
10
後陽成
慶長六年二月二八日
1601
長沼惣右衛門、伊那郡二善寺を修造す、
11
後陽成
慶長六年
1601
徳川家康、小笠原秀政を下総古河より京極高知の旧領伊那郡飯田に移す、
12
後陽成
慶長六年三月一〇日
1601
真田信幸、小県郡東上田村の彦助をして、同郡小玉山の地を安堵せしむ、
14
後陽成
慶長六年三月一六日
1601
平沢孫右衛門等、伊那郡香坂村の用水に就き、新に番水を定む、
14
後陽成
慶長六年三月一七日
1601
伊那郡文永寺・安養寺、徳川家康の諮問に応へ、両寺寺領のことを報ず、
15
後陽成
慶長六年三月二〇日
1601
大久保長安、信濃に於ける伝馬の印判を定む、
16
後陽成
慶長六年三月二二日
1601
大久保長安の家臣田辺十郎左衛門、山村良勝をして、木曽谷百姓の物成を取計はしむ、
17
後陽成
慶長六年
1601
徳川家康、信濃に検地を行ひ、国内諸村検地帳成る、
19
後陽成
慶長六年
1601
信濃等に、疾病流行す、
41
後陽成
慶長六年四月二日
1601
伊那郡代官宮崎安重等、平沢勘右衛門尉に地を預く、
42
後陽成
慶長六年四月一二日
1601
山村道勇、良候、木戸某に木曽野尻半分問屋を命ず、尋いで、六郎左衛門に、同妻篭半分問屋を命ず、
42
後陽成
慶長六年四月一六日
1601
山村道勇、良候、和田の小三郎に木曽野口の地を与ふ、
43
後陽成
慶長六年四月二〇日
1601
朝日受永、近路、伊那郡常詮寺等に地を寄進す、尋いで、同郡白山寺等をして、地を安堵せしむ
44
後陽成
慶長六年四月二六日
1601
知久頼直、伊那郡田村之内の地を、堀越の新左衛門に付す、 堀越の新左衛門の書状
62
後陽成
慶長六年五月六日
1601
是より先、武蔵増上寺源誉、伊那郡慶林寺の宗旨無法度のことを責め、その住持を追放せしむ、是日、源誉、同郡西教寺に、宗旨無法度を取締るべきを伝ふ、
64
後陽成
慶長六年五月一一日
1601
某、伊那郡二善寺大明神に地を寄進す、宮崎安郷、その旨を報ず、
64
後陽成
慶長六年五月二〇日
1601
越前北庄の保科正光、伊那郡高遠の松沢喜右衛門尉をして、夫丸及び金子等を送らしめ、諏訪郡青柳金山の高遠領帰属を報ず、尋いで、また、高遠領施政のことにつき指示す、
65
後陽成
慶長六年六月四日
1601
朝日受永、近路、伊那郡文永寺をして、山林を造成せしめ、濫りに売却するを禁ず、
69
後陽成
慶長六年六月九日
1601
保科正光、伊那郡高遠の松沢喜右衛門尉に書を送り、同郡小野・八乙女両村の高遠たることを述べ、その由を朝日受永にも報ぜしむ、
70
後陽成
慶長六年六月二六日
1601
保科正光、伊那郡高遠の松沢喜右衛門尉をして、正光の許に向ふ中間に扶持せしむ、
72
後陽成
慶長六年六月三〇日
1601
安曇郡満願寺尊応、七月行等を勤修す、
73
後陽成
慶長六年七月六日
1601
是より先、真田信之、井伊直政に依頼することあり、是日、直政、之に答へ、徳川家康への取成を約す、
73
後陽成
慶長六年七月一六日
1601
保科正光、伊那郡高遠の松沢喜右衛門尉等に、下総多胡より、伊那郡高遠への移転につき指示を与ふ、 正光、喜右衛門尉をして、平原市助子等に扶持を給せしむ、
74
後陽成
慶長六年七月一七日
1601
徳川家康、伊那郡常泉寺をして、寺領を安堵せしむ、
78
後陽成
慶長六年七月二七日
1601
徳川家康、善光寺に水内郡に於いて寺領を寄進す、
79
後陽成
慶長六年七月二九日
1601
真田信之、湯本三郎右衛門尉に上野草津湯銭を免ず、
79
後陽成
慶長六年八月二日
1601
真田信之、横山久兵衛等に、小県郡東上田に於いて知行を与ふ、尋いで、大熊五郎左衛門等に知行を与ふ、
81
後陽成
慶長六年八月五日
1601
真田信之、真田壱岐守等をして、本知行を安堵せしむ、 信之、桜井勘左衛門尉等に知行を与ふ、
85
後陽成
慶長六年八月七日
1601
真田信之、真田壱岐守等に、鑓同心及び鉄砲同心を預く、
91
後陽成
慶長六年八月一〇日
1601
真田信之、祢津神五郎等に地を与ふ、
95
後陽成
慶長六年八月一〇日
1601
真田信之、伊勢豊受大神宮に小県郡に於いて地を寄進す、
96
後陽成
慶長六年八月一一日
1601
真田信之、小県郡下之郷大明神に社領を寄進す、尋いで、領内寺社に、それぞれ寺・社領を寄進す、
97