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(三〇)日祝

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 日祝妙國院と號した。俗姓千葉氏。應永三十四年下總千葉郡に生れた。六歳中山法華經寺の第六世日薩に從ふて得度、天資卓絶、群を拔いて其名を高うした。文明五年四十七歳にして京師に上り、(本化別頭佛祖統記)妙法を弘通し、やがて長享二年三月權僧正に陞り、(聞法山歷譜幷緣由傳記)【頂妙寺開山】明應四年には道契厚き細川勝益の寄進によつて頂妙寺の開山となつた。勝益は將軍足利義高[後に義澄と改む]に仕へて政務を執り、一字を賜ふて、高益と稱したが、其子高國、孫氏綱も同じく日祝に歸依した。日祝後堺に隱棲し、後改めて寺とした。【頂源寺開創】卽ち永松山頂源寺で(本化別頭佛祖統記)現堺市西湊町に在る長源寺卽ちこれに當り、天文十三年の開創である。(長源寺記錄)寺は舊北莊にあり、其後西湊に移り、頂源は長源と改稱せられたものであらう。【高弟】其上足に日言及び日沾がある。沾は頂源寺を言は頂妙寺を紹いだ。永正十年四月十二日享年八十七歳を以て示化した。(本化別頭佛祖統記、佛心歷代師承傳、聞法山歷譜幷緣由傳記)