【宗薰の長子】今井宗呑は彦八郞と稱し、後宗呑と改め、(今井家由緖書)茅少齋と號した。(祥雲寺略記)宗薰の長男で、(今井氏七石碑銘幷系圖)道號を不盡と云ふ。卽ち玉仲宗琇の授けたものである。(祥雲寺略記)【大阪城拘禁】大阪冬陣に父と共に大阪城中に拘へられ、織田長益の請ひによつて放たれ、遂に高野山に遁れた。後父と共に二條城に至り、德川家康に謁したが、秀忠の旨に忤ひ、遂に退去して庶人となつた。(今井氏家記)【二子】子あり、伯を三郞右衞門兼吉、叔を彦六兼俊と云ふ。(祥雲寺略記)元和九年四月十三日歿し、法諱を不盡宗呑居士と云ふ。(宗呑位牌、今井氏七石碑銘幷系圖)