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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(一四九)近藤隆昌○魯溪
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【
文溪
隆昌の男】
近藤隆昌
諱は
文昇
、初名を
隆二
と稱し、
魯溪
と號した。(墓誌)【
堺奉行所
附となる】
華溪
を祖父とし、
文溪
を父とし、醫業を繼ぎ、又
堺奉行所
附となり、帶刀を允された。其診療を乞ふものは良賤を分たず、良醫の名高かつた。【墓所】文政十年五月五日三十四歳を以て歿し、
靈法寺
先塋の次に葬つた。法諱を覺法院明道
魯溪
居士といふ。(墓誌)