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(一七八)萬代文軌

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 萬代文軌字は隨浩、城門氏、克念齋、澄漪、又は樵翁と號した。【堺の人】通稱を萬代屋久兵衞と云ひ、享保十二年正月出生し、(熊野町專稱寺法名記、梁田忠山氏報告書)中之町に住し、後宿院農人町に移つた。(老圃歷史)【高志羪浩の高足】經學を高志羪浩に學び、詩文に長じ、其上足となつた。(左海人名錄)羪浩全堺詳志を著作した際には文軌其敍文を書いた。(全堺詳志敍)儒醫河野進齋は彼の門人である。(河野進齋碑銘)【墓所】寬政九年六月十一日享年七十一歳示寂、法號を克念齋文軌道意といひ、(專稱寺法名記、梁田忠山氏報告書)安養寺に葬つた。【其男梁田邦敬】明石藩の文學梁田邦敬は其子である。(老圃歷史、梁田忠山氏報告書)