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(二九〇)布屋五兵衞

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 【宿院町の人】布屋五兵衞宿院町に住し、木綿問屋を業とし、諸侯の邸にも出入して家業頗る繁昌した。風流韵事を解し、餘技として繪畫を好み、四條風をよくした。善法寺の南方住吉橋通北三丁汐見ヶ丘に別墅を構へ、【粟田の陶工を聘し茶器を造る】天保の頃京都粟田の陶工を聘し、菱橋西詰に二箇所の窯を築き、自らも亦陶土を捻つて、茶器等を製出した。其作品は赤樂に白釉を施したもので、頗る雅致があり、別墅の所在に因んで、【汐見鹽】「汐見」の印を捺し、或は箆銘を加へ、之を所緣に贈つたもので、其數あまり多からず、今に至つて茶人の垂涎措かざるものがある。嘉永四年十二月二十六日享年六十六歳を以て歿し、(友淵楠麿氏報告)【墓所】神明町東二丁專修寺の兆域に葬つた。法諱を興德院昌譽定繁禪士といふ。(墓記)