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(四六)中井作次

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 中井作次は號汲江、【甲斐町東一丁の人】天保十一年甲斐町東一丁に生れた。幼にして堺鄕學所に學び、(神山鈴吉氏報告)明治五年四月、【公職】第九區副戸長に、七年一月、第一大區四小區、九年十月、同二小區の各副區長となつた。(四區小二十區割帳、堺縣廳布告、堺法令類纂)其間八年、同僚と與に堺港灣增築並びに燈臺の建設を期し、建議陳情に努め、(波止築造幷燈臺建築の始末)二十二年四月堺市會議員に當選、【堺市會議長】二十四年二月市會議長に推され、同年十二月退任した。次で翌二十五年四月、復、市會議員となり、二十八年十二月退任するに至るまで、或は定期改選に、或は補缺選擧に當選すること前後三囘、市政に貢獻し、(市會議事錄)又學務委員に擧げられて教育上に盡くすところあり、(神山鈴吉氏報告)【堺史編纂員】三十五年堺史編纂員となり、史料の採訪蒐集及び考證の任に當つた。(堺大觀、堺史編纂類末書類)人と爲り、剛直謹嚴、文事を嗜み、劍柔の兩道に達し、書畫及び骨董を愛好した。(神山鈴吉氏報造)四十二年一月二十五日、享年七十歳を以て歿し、遺骨を京都西大谷に葬つた。法號を釋教了といふ。(淨行寺過去帳、神山鈴吉氏報告)