【位置】神明神社は榮橋通二丁字新地に鎭座す。【祭神】祭神天照皇太神、豐受大神。(社寺明細帳)【創祀】始め佐々木長門なる者、來つて荒蕪を開拓し、今の榮橋通西南詰に住し、天保三年三月宅地に小北稻荷明神を勸請したが、同十二年十一月奉行水野若狹守は、新地繁榮の爲めに、長門奉祀の稻荷社を産土神として奉齋すべき旨を命じた。是に於て宿院町布屋源次郞より、同人預地の中東西七間、南北二十九間の敷地の寄附を得、社地を移し、稻荷明神、住吉大明神、金山彦神を合祀し、別に天照皇太神の小祠を建て、翌十三年正月正遷宮を、二月初午には祭典を執行し、同日奉行の參拜あり、又大阪城代青山下野守の公檢を受けた。社殿の工事九日で竣成したから、九日を一字に約めて旭社と號し、又奉行所から多くの梅樹を寄附せられたから、梅の宮とも稱した。然るに社地狹隘の爲め、安政二年十一月榮橋通二丁の空地へ移轉を出願し、同六年十二月に公許を得たが一時中止し、慶應元年移轉決行、三年六月工事を竣成した。【遷座】是に於て同八日より一七日間遷座の祭典を執行し、旭神明社と改號した。明治四年二月十三日新地神明社と改稱、(神明神社記錄)【社格】同五年村社に列し、三十五年十月氏子の寄進によつて、【社殿】社殿、攝末社を修造し、四十二年六月神饌帛料供進社に指定せられた。境内七百一坪、本殿、幣殿、拜殿、社務所、倉庫あり、末社には六柱神社がある。(社寺明細帳)【例祭】十月十七日例祭を執行し、氏地は榮橋通一丁、同二丁、龍神橋通一丁、同二丁、住吉橋通一丁、同二丁、大濱通一丁乃至四丁、吾妻橋通一丁乃至四丁に亙つてゐる。