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(一二)法華寺

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 法華寺卯木山と號し、俗稱柳の寺、【位置】甲斐町東三丁字五辻に所在し、本門法華宗妙蓮寺末、寺格末頭中本寺。【開山】妙顯寺の住僧で日像の法弟に當る權大僧都法印日輪(始め妙輪と稱し、後日輪に改む、應永四年正月二十七日遷化)の草創である。【沿革】當寺は始め堺郊外に法華庵と號する小庵を造立したのに創まり、後地を堺南大小路町に相し、大檀越滿田盛讚移轉して寺號を建てた。本堂、御影堂、番神堂及び衆徒十二坊を有する八品の一本寺であつた。(卯木山法華寺之由緖)享祿三年十一月の文書に據ると、當時既に學寮の設備があつた。(法華寺學文寮法度書)天文五年七月京都妙蓮寺日亮等難を當寺に避け、駐錫三年に及んだ。歸洛後法義同じき故を以て遂に本末の關係を結び、且滯留中諸般の功勞により、中本寺とし諸國の觸頭を命ぜられた。當時寺料五十石を有したが、課役に苦み、之を返還したといふ。元和兵燹後寬永十八年六月更に當所に移轉し、奈良屋道汐再興した。中興開山は龍國院日統である。當時三子坊を有した。(卯木山法華寺之由緖)寶永元年の記錄に本立院龍國院善住院と見えるもの之であらう。(堺南北寺院塔頭之諸出家印鑑帳)然し、其後頽廢甚だしく、明治維新の際本坊に併合した。(堺史料類纂)明治四年當住日奬本堂を改築した。【本尊】本尊は題目寶頭、釋迦、多寶二佛、上行、無邊行、淨行、安心行の四菩薩、持國、廣目、毘沙門、增長の四天王及び不動明王である。【堂宇】本堂兼庫裏、納家、藥醫門を備へ、三光堂は寬永十八年六月奈良屋道汐の建立にかゝる。境内三百七十五坪。(社寺明細帳)什寶中傳日蓮上人筆鯉曼荼羅はもと奈良屋道汐の祕藏で、元和中道汐之を携へて東國の靈場を巡拜し、歸途琵琶湖渡航中奇瑞あり、鯉曼荼羅と稱せられ、當寺に寄進したものである。(鯉曼荼羅緣起)【什寶】其他日蓮上人消息一幅、日像上人筆十界曼荼羅一幅、日隆上人筆十界曼荼羅等がある。【墓碑】墓地に奈良屋道汐の墓碑がある。