【所在】神功皇后を祭神とする矛神社は南旅籠町東三丁字内農人町にあつたが、明治四十年五月開口神社へ合祀移轉した。(大阪府誌)【鉾塚】明治初年鉾塚に設けた神社で、塚は皇后が御鉾を埋められた舊址と傳へ、(堺鑑)一説に旗を埋められたと云ひ、(攝波境小錄鑑)或は旗鉾共に埋められた後、鉾を住吉神庫に收めたとも云つてゐる。(大阪府誌)【舊址】元祿當時塚は南旅籠町の内農人町現在の同町東三丁四十三番地高田勝次郞氏住宅南側の道路面にあつて、神社も亦同所に建てられたのであつたが、合祀彼塚並びに、境内にあつた榎の古木も失はれてしまつた。(口碑)