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(四)甲神社址

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 甲神社址は神功皇后三韓より御凱陣に際し甲を埋められ、後其地に社を建てゝ附近を雛橫小路と稱したとの傳へになつてゐる。【所在】卽ち市之町開口神社東門筋に該當する。(堺鑑)神社は後宿院に移り、【移轉後の舊址】舊地たる市之町東二丁三十三番地大今喜平氏住宅南境に小祠を祀つたが、最近同氏住宅裏へ奉遷した。(大今喜平氏談)
 【移轉地と其變遷】宿院移轉後の鎭座地は元祿二年の堺大繪圖には住吉祠官津守氏の掛屋敷内にあつて今の宿院町東一丁消防ポンプ置場となつてゐる。【雛廣小路】又雛橫小路は古來雛、幟、人形商人の集團區域であつたが(和泉名所圖會)今は其面影も無く、唯每歳地藏盆に附近の商賈が造人形を催すので有名になつてゐる。