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(一〇)事代主神社址

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 【所在】市戎社と俗稱された村社事代主神社は材木町東二丁宇市戎町にあつたが、後宿屋町東二丁に移り、明治四十一年鄕社菅原神社へ合祀移轉した。
 當社は弘法大師の創立と傳へて居り、大師開市の際、守護神として戎像を自刻して祀り、別に、北方宿屋町に大黑天祠を祀つて當社と對稱せしめたと云つてゐる。(堺鑑)後兩祠共に衰へ、元祿二年の堺大繪圖には所在を示してないが、兩祠の所在によつて生じた市戎町、大黑町の名を殘してゐる。元祿八年頃には軒端に星霜をすごす有樣であつた。(攝泉境小鑑錄)此後市戎は大黑町に移轉し、明治以後事代主神社と稱し、村社に列し、境内八十五坪を有したが、遂に合祀せられたのである。【舊地】舊址は宿屋町東二丁の東側南寄に存し、中西藤兵衞氏所有の同丁二十四番地谷藤藤吉氏の薪炭置場に當つてゐる。