【所在】護念寺は新在家町東四丁にあつたが、明治四十二年本寺長泉寺へ合併せられた。【元祿二年の規模】元祿二年の堺大繪圖には十萬小路にあつて北面し、東は幸德寺及び專稱寺、西は長泉寺、南は賢清寺及び長泉寺、北は十萬小路筋に接した東西六間半(新間七間二寸五分)南北十四間半(新間十五間四尺二寸五分)の境域を記してゐる。其貼紙に「古繪圖護念菴表貳間、入書付ナシ」とあるのは、【沿革】以前當寺が護念菴と稱してゐた事を證するものである。【舊址】寺院舊址は、現在新在家町東四丁十番地入谷安次郞氏住宅以西長泉寺境迄が往時の表口に當つてゐる。