古第三紀の末、今から二五〇〇万年前くらいまでユーラシア大陸の東縁部をなしていた札幌を含めた西部北海道は、他の東北日本弧内帯と同様に、地下深部に起こった大変動によって激しい地殻変動と火山活動の舞台となり新第三紀を迎えた。
豊平川上流域の証拠では、まず、当時の古陸域に大規模な地割れが起こり、それを通して、水蒸気を多く含んだマグマから溶結凝灰岩や石英安山岩の噴出がはじまり、陸域をおおいつくした。この初期の変動と同時進行しながら大海進(*)もはじまり、この地域は海面下に没してしまう。しかし、その海底は、プロピライト(変朽安山岩)やグリーンタフの噴出に続く玄武岩質マグマの活動、そして、最後は流紋岩質マグマの活動に至るような火山活動の場であった。この一連の火山活動はおよそ二〇〇〇万年前には終息し、海底は上昇運動によって再び陸化していったのである。
しかし、不安定なこの陸域には、引き続く地殻変動によって大規模な断層や陥没が発生した。そしてその陥没地帯には岩塊や土砂が堆積したが、そこはやがて海面下に没し、再び火山活動の場となってしまう。その火山活動は中新世中期の前半、およそ一七〇〇万~一八〇〇万年前には休止し、静かな海底になり、厚い泥の堆積がはじまった。それは豊羽層群中部層(滝の沢層)の硬質頁岩層である。静穏な時期も長くは続かない。中新世中期後半、およそ一五〇〇万年前になると、また火山活動がはじまる。この時期には石英安山岩や流紋岩の活動が主であるが、石英斑岩の脈岩が形成されたり、有用鉱物成分の濃集した熱水溶液が網目状の割れ目に入りこみ、諸所に鉱床を形成していったのである。その代表的なものが豊羽鉱山である。
激しい地殻変動や火山活動が繰り返された中新世も終わりに近くなると、比較的平穏な時期を迎える。およそ一〇〇〇万年前の札幌近辺は静かな海底であった。そこには無数の貝類が生息し、深々と泥が堆積していたのである。砥山層群がその堆積物である。しかし、この時期にもときたまマグマの活動があり、小規模な割れ目を通って輝石安山岩や石英安山岩などが貫入してきたのである。
*海進(かいしん) 海岸線が陸側に入りこんでいくこと。このとき地層はオーバーラップの関係で陸側に広がり、新しい地層が古い地層・岩体の上に不整合に重なる。海進にともなう一連の地層は、下から上へ礫岩→砂岩→泥岩と変化することが多い。