気候は徐々に温暖化し、それにともなって海水面も上昇してきた。音江別川期のはじまりである。それはおよそ四〇万年前のことである。
この海に堆積した地層は、野幌丘陵地域では音江別川層と呼ばれているが、石狩低地帯南部の早来―厚真地域では早来層、北部の石狩丘陵地域では伊達山層と呼ばれている。すでに述べたように、音江別川層の下部シルト層には、現在、北海道の近海には生息していない暖流系のアカガイやハマグリなどの化石が多数ふくまれている。なかでも、現在では陸奥湾が北限で、太平洋沿岸海域のみにしか生息していないイボキサゴの産出は注目される。早来層からも音江別川層と同じような構成の貝化石群が見いだされている。しかし、伊達山層からは中鹹水―高鹹水域を好むヤマトシジミしか発見されていない。このような事実を総合すると、音江別川期の温かい海は、太平洋側に広く湾口を開いた大きな内湾となっており、おそらく、日本海側には通じていなかったと考えられる。また、この時の海水面の高さは、音江別川層や早来層の分布高度から判断すると、現在より四〇~五〇メートル高かったと推定できるのである。
音江別川期は、貝化石や植物・花粉化石などからみて、かなり温暖な気候が支配的で陸上にはアルメニアゾウの仲間をはじめ多くの動物が生息していたのである。だが、音江別川期も末期になると、次第に寒さを増してくる。そして、その気候変化を敏感に感じとったかのように、野牛などの北方系の動物たちが、この地にも渡来してきたのである。