西区手稲前田にあるポンプ中継所は、紅葉山砂丘の西南端から南へ五〇〇メートルくらいのところにある。この中継所の基礎工事のため、一辺が約一〇〇メートル、深さ一三~一四メートルのほぼ方形の掘り込みがなされた。工事中という情報を入手して調査を実施したのは昭和四十八年である。現場の掘り込まれた断面には石灰をまき散らしたような灰白色の層が下へずり落ちたように付着していた。ひと目で貝殻層であることがわかったが、よく調べてみると、掘り込みの地質断面は、図2に示すように、最下部には黒色のシルト層(上部西浜層)、その上位には、下から未固結の砂層・クロスラミナの発達する砂礫層・河川堆積物と考えられる礫層・粘土層・泥炭層の順に堆積していた。そして、未固結の砂層からは、現在の北海道近海には生息していない暖流系のサルボウ・アカニシ・ハマグリなどを含む三六種の貝化石が見いだされた。その上部の砂礫層の貝化石はマガキを主体とし、渚に打ち寄せられた状態で堆積しているものであった。また、砂層と黒色シルト層の境界からはホッキョククジラの頸椎と脊椎も発見されている。
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図-2 手稲前田ポンプ中継所の地質柱状図 |
写真-1 手稲前田の掘込断面
写真-2 前田砂層最下部のホッキョククジラの頸骨(左)と脊椎骨(右)
この貝化石を含む砂層と砂礫層は前田砂層とよばれ、堆積年代は最下部のクジラ化石を材料とした14C年代値(約七〇〇〇年前)と最上部のマガキの14C年代値(約六八〇〇年前)からみて、明らかに縄文早期から前期にわたる時期である。
この時期は、一般的には縄文海進の進展期で海は拡大に向かうはずである。しかし、前田砂層の分布はさほど広くなく、限られた範囲である。また、上部西浜層が堆積した古石狩湾は静かな内湾であったが、前田砂層の堆積状況は、外洋に開かれた海の沿岸相を示している。このような事実から、七〇〇〇年前ころには、それ以前の内湾的環境が崩壊し、外海的環境となり、海岸線は古石狩湾のときよりもむしろ後退していたと考えられる。また、分布が紅葉山砂丘の内陸側に限られ、砂丘から二~三キロメートルの間で急激に厚さが薄くなっていることから、前田砂層は当時の沿岸流の作用で、海岸近くの浅海底に形成された砂州状の堆積層であると考えられるのである。
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図-3 前田砂層・紅葉山砂礫相・生振砂礫相の分布図 |