一方、遺跡の分布調査としては、河野広道の執筆による『琴似町史』の「先史時代」が重要である。これは、札幌市に合併される前の琴似町の遺跡を概観したもので、発寒川、琴似川およびその支流をなす地域の丘陵地帯の遺跡として、ストーンサークル、アイヌ墳墓、チャシ、竪穴住居跡などがあることを記している。琴似町において、その時点で判明している遺跡としては、①新川東牧場で擦文土器が二地点から出土。②東発寒七九三の江戸時代末期のアイヌ墳墓と思われる遺跡。③東発寒・発寒神社裏のストーンサークル・竪穴住居跡・アイヌ墳墓。④東発寒九八九の厚手、薄手の縄文土器、擦文土器、石器類。⑤東発寒の薄手縄文土器片、擦文土器片。⑥西発寒四六の余市式土器の包含層。⑦西発寒六四三の厚手土器の包含層。⑧西発寒の厚手土器(三地点)。⑨西発寒三谷氏所有地の厚手土器。⑩西発寒線路北の厚手土器。⑪発寒の厚手土器。⑫二十四軒南に擦文土器の出土地点が近接して五カ所あり、竪穴住居跡群が存在していたとみられる。⑬二十四軒南三四〇に薄手縄文土器と擦文土器がみられる。⑭二十四軒の薄手縄文土器と擦文土器。⑮琴似製薬所有地に人骨出土。⑯駅前通り西側の刀剣、人骨。⑰山の手の厚手および薄手の縄文土器と土師器。⑱山の手三九一のチャシ。⑲十二軒沢付近の土器片。以上の二六地点にわたって遺跡が存在したことを述べている。
これらの各地点ごとの立地条件と出土遺物の年代から、古い時期に属する遺跡は、円山、山の手、発寒など比較的に海抜高度の高い地域に分布し、新しい時期の遺跡は低い地帯まで生活圏をひろげているということを述べている。