ここで一つ注意しなければならないことは、アイヌ説、非アイヌ説で始まった日本の人類学であったが、その後、渡来説にしろ移行説にしろ、その焦点は現代日本人の起源の問題にのみ絞られるようになり、アイヌの起源論がかすんでしまったことである。もちろん、北海道の人類学者が清野謙次や長谷部言人の研究をただ傍観していたわけではない。昭和の初めに北海道大学の教授に就任した児玉作左衛門は、教室の主テーマをアイヌの人類学的研究に定め、アイヌ骨格の収集に全力を注ぐことになる。道内各地の墳墓から発掘されたアイヌ骨格は膨大な数となり、アイヌ頭骨の基本的データが蓄積され、アイヌの形質の地域差が明らかにされてきた。北大解剖学教室の一連の業績は高く評価されるべきものであるが、その研究の大部分は人類学の中でも、もっとも地味な分野である基礎資料の集積に当てられ、ついにアイヌの起源論まで発展することはなかった。
アイヌの起源を解明する目的を持って、本格的に北海道の古人骨の研究に着手したのは、三橋公平を中心とする札幌医科大学解剖学教室であった。研究をはじめてからの日が浅いので、いまだにまとまった業績を挙げることができずにいるのは遺憾であるが、札幌医大に在職し、北海道をフィールドにして発展した埴原和郎、山口敏の二人の人類学者が現在中央のリーダーとして活躍している。彼らはアイヌを含めた日本人種論を展開しており、日本列島の人類形成史に北海道が果たす役割は今後ますます大きくなるものと思われる。