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続縄文時代人

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 北海道南西部の続縄文時代人骨は、尾白内、小幌、礼文華、有珠善光寺、絵鞆、南有珠六、南有珠七の各遺跡から発見されている。この時期になると、人骨の形質に近世アイヌ的特徴が一段と明瞭に表われてくるようである。
 室蘭市絵鞆遺跡からは、八体の続縄文時代恵山期の人骨が検出されているが、それらは形態的に著しい多様性を示し、道南アイヌに近いもの、道央・道東北アイヌに近いもの、モヨロ貝塚人に近いもの、あるいは本州縄文時代人に近いものが認められるという。しかし平均的には、近世アイヌ、なかでも道南アイヌに比較的近い、と結論されている。
 恵山期の豊浦町礼文華貝塚からは、きわめて保存の良い男性骨格一体が発掘されている。頭骨計測値にもとづく判別函数、ペンローズの形態距離、あるいは頭骨の非計測的形態特徴の出現型のいずれの結果から判断しても、この人骨は道南アイヌとの類似性が強いという。
 伊達市南有珠六遺跡からは女性一体、南有珠七遺跡からは男性二体の恵山期の人骨が出土している。南有珠六遺跡の頭骨は長幅示数が長頭に近い中頭型に属し、近世アイヌ的であるほか、顔面も比較的高く、縄文人に比して明らかに繊細化していた。また、頭骨計測値にもとづくペンローズの形態距離と判別函数、それに頭骨の形態小変異の出現状態はいずれも、この頭骨が本州の縄文人頭骨よりも近世アイヌ、とくに道南アイヌの頭骨と親近性が強いことを示していた。南有珠七遺跡の人骨は一例は比較的顔面が低く、ペンローズの形態距離でも、アイヌよりもむしろ本州の縄文人に近い、という結果が得られた。これに対して、他の一例は脳頭骨が長く、顔面も比較的高く、アイヌ的であり、ペンローズの形態距離でも、本州縄文人よりも明らかにアイヌに近い、という結果であった。
 これは未公表の資料であるが、尾白内貝塚より出土した恵山期の人骨三体は、北大解剖学教室の鑑定によると、いずれも道南アイヌに強く類似しているという。