前出の「沙津保呂鳥屋一ケ所」支配所持の目谷六左衛門と思われるが、『広時日記』元禄五年十月二十日の項に「目谷六郎左衛門勝手不如意に付石狩御運上金の内小判六両御赦免」という記事がある。運上金を上納することで、秋味交易船を出すことを許可されていたことを示している。
「志古津ノ上武川鳥屋一ケ所」持の麓小兵衛は同じ『広時日記』九月八日の記事にある「不勝手に付、石かり川尻え酉年(元禄六年)鱒取舟願」を出して許可された麓小兵衛であると考えられ、また「美倶仁(ビクニ)鳥屋一ケ所」持の近藤惣左衛門による秋味舟の願いを本年も許可された記事もあり、支配所持が許可を得て、それぞれに秋味船を出し、アイヌと交易していたことがわかる。