写真-4 菊池重賢
(札幌神社九十年誌より)
菊池大蔵は後に重賢と名をかえ、明治三年十二月に札幌神社(現北海道神宮)の禰宜(ねぎ)となる。重賢は兼務で開拓使にも出仕し、開拓使初期の神社行政を担当した。五年二月に権宮司(ごんぐうじ)となるも、札幌神社の経営をめぐって開拓使と衝突し、ついに八年七月に辞職し離札した。しかし、二十五年(一八九二)に金刀比羅宮敬神教北海道分教会所設立のために再び来札し、三十五年に死亡するまで、札幌で開教に従事した。同所は後に札幌八幡宮と改称され、重賢の〝宿志〟はやっと達成されることになった。