堀グループに加わりイシカリ辺にふれた記録として『蝦夷地紀行』があり、筆者は不明であるが、巻頭に「安政二年三月、小紫研斉写」という識文がついている。江戸出立からイシカリを経てカラフトに渡り、堀らの巡回中はクシュンコタンに逗留、のちオホーツク海岸から太平洋岸をまわり箱館まで、本隊とともに旅したが、その後の記述はない。
内容は行程の地名、里数を項目書きしたにとどまるが、セタナイ、イワナイ、フルウ、ハママシケで絵を加えややくわしい描写がみられる。ただ主要な関心はカラフトにあったろうから、クシュンコタン来航のロシア人、アイヌやオロッコの風俗等は詳細に記録しているのが注目される。
そのイシカリの記事に月日がない。しかし全行程からみて、本隊と同じく五月二十日イシカリ着、一泊して翌二十一日マシケへ向かった人と見てよいだろう。文中、法鮫大明神や弁天社の祠、灯籠に目を向けているのが特徴だろう。また、イシカリ川の通船、鮭漁にふれ、綿入着用という記述もおもしろい。