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編纂の下命

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 『蝦夷志料』──『千島志料』ともよばれた──は、幕府が北方地域の領土問題についてロシアとの外交折衝の資料とし、あわせて蝦夷地の将来の開発資料とする目的で編纂されたものである。
 編纂の命は、安政二年(一八五五)三月に前田夏蔭に下された。夏蔭は通称健助、鶯園と号し、『万葉集私記』(二四巻)、『風土記逸文考証』(一〇巻)などを著(あらわ)した国学者であった。同年七月に、以下の九人が編集手伝に任命された。
小普請―染屋祐次郎公雅、与力―榊原銈蔵長河、新番―目賀田帯刀守蔭、健助男―前田健次郎夏繁、御徒・健助聟―前田忠三郎、書院番―山田左七郎、小普請―山本武五郎、御徒―山内次郎太郎、松平右京亮家来―市川十郎