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アイヌの使役

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 松浦武四郎は七月六日に、ユウバリ調査行の途次、ベツカイ(茨戸付近)にて休憩する。その折、石狩川の上流より七人ほどのアイヌが一艘の丸木船で下ってきたが、「是等はトイヒラえ新道開発の為に参り居り候由。此度普請仕舞にて下り来りし由なる」と、「普請仕舞」を伝えている(『丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌』、以下『丁巳日誌』と略記)。すでに七月六日の段階で、相当部分の新道切開が終了していたことがわかる。
 以上の経過からみると、おおよそ四、五月に飯田豊之助による予定路線の検分、六、七月に開削工事に着手、そして七月中にひとまず完成ということになる。しかしこの経過をみてもわかるように、わずか二カ月ほどの非常な短期間に施工されたゆえ、工事内容は拙劣なもので、後に再整備が必要とされるようになった。
 また工事の労働力も、武四郎の『丁巳日誌』が伝えるように、アイヌの労働力に依存していた。当時、和人は漁業の出稼者しかいなく、他に労働力が求められなかったこともあるが、アイヌが請負人により最も安価で簡便な労働力とされていたからであった。