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目次
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第四編 イシカリの改革とサッポロ
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第五章 サッポロ越新道
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第二節 新道と通行屋・小休所
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二 松浦武四郎「新道日誌」
武四郎の新道検分
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新道開削
にともない、
松浦武四郎
は安政五年六月に、
サッポロ越新道
を検分し、新道沿いの地名・地理・様子を記述した「
新道日誌
」(『戊午
東西蝦夷山川地理取調日誌
』所収、以下『戊午日誌』と略記)をあらわしている。武四郎がこのルートを通行するのは、弘化三年(一八四六)以来二度目であった。
武四郎は
サッポロ越新道
に関し、安政三年以降、各地で開削された新道は、「元より有来りし道を再興等なして、何れも全くの新道たる者にあらず」と述べ、
サッポロ越新道
は、「此蝦夷の地の中央を志(こころざ)し越るが故に、当節開地の第一業とす。依て新道は此新道に限るが故に、此名を冠(かんむ)らしむるもの也」と、『
新道日誌
』の名称の根拠を説明している。武四郎によると、
サッポロ越新道
のみが唯一の新道で、「(
蝦夷地
)開地の第一業」であった。
図-1
サッポロ越新道
と諸河川(
新道日誌
より)