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温泉の注目

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 松浦武四郎が温泉を「発見」したのは、先にみたように安政五年二月であった。これから間もなく、清太郎の知人三人が訪れ、五月には清太郎も見届けに行ったことになる。また六月にはハッサムのハレテレキの案内で、和人二人も温泉に行っていた。さらにはこの前後に、武四郎の報告をうけ、同心広田八十五郎も検分に訪れていた。このようににわかに温泉が注目されたのであるが、イシカリの和人の間では、武四郎の「発見」以前に、すでにアイヌより温泉のことを聞き、温泉の存在は周知の事柄であったとみられる。
 たとえば武四郎も安政四年の時点で、トヨヒラの上流に「温泉一ケ所有。然し手入を不致が故に如何にも不宜のよし。其功験の著しき事は筆紙に尽しがたし」と、温泉の存在・功験について言及している(丁巳日誌)。しかし、先のように温泉が注目され始めたのは、確かに武四郎の「発見」以降であった。
 以上の動向の中で温泉開発にはじめて着手したのは清太郎で、先の談話によると安政六年五月以降に湯治小屋をたてたという。さらに、文久元年七月以降に定山に譲渡したという。いままで定山渓温泉の沿革につき、定山以前の事柄については不明の部分が多かった。しかし、今後細部については種々検討の必要があるにせよ、ここに清太郎の談話をおくことにより、定山による温泉開発までの経緯が、ある程度明らかになってきたといえよう(なお、早山清太郎については第九章参照)。