安政五年(一八五八)四月に発表されたイシカリ改革は、アイヌ問題についてもおおきな影響をもつ改革であると同時に、改革が必要とされた要因にはアイヌ問題も含まれていた。「西地石狩場所改革仕候儀申上候書付」(新札幌市史 第六巻)によると、イシカリ場所では「土人撫育筋等エ心を用ひ候者更ニ無之、唯々利慾ニ走リ種々私曲之儀不少」とあり、請負人がアイヌの「撫育」を怠(おこた)り、利欲・私曲にはしったことが指摘されている。また同「書付」には、改革後のアイヌの「撫育」に関し、「土人撫育筋ハ、深山幽谷ニ罷在候土人共ニ至ル迄時々見廻(まわ)り、病者ハ御雇医師ニテ治療を加へ、御料所相成御旨意、何方迄も貫通致し候様仕……」と述べ、遠隔地居住者の見廻り、病人の治療までをおこない、御料所(直捌)の旨意(目的)を貫通すると言っている。