村役人名等については、前述のように資料により多少の相違がある。ここでは『事蹟材料』中の「荒井金助殿履歴」によるとつぎのとおりである。
[篠路開墾荒井手農夫名主役] | 渋田 畑六 |
仝 順番 | 仝 乙吉 |
仝 仝 | 仝 弥平 |
仝 | 七之丞 |
仝 | 大島 文蔵 |
仝 | 政吉 |
武藤 金蔵 | |
松下 喜平 | |
農夫取締 | 喜三郎 |
佐(ママ)山 清太郎 |
最初の畑六は、忠司(次)であろう。またこの書き方では、前三人が交替で名主をつとめたものと思われる。しかし同史料の「金助開墾の意は屯田にある事」中では「高梨忠次郎(ママ)を名主とし、弥平、乙吉、七之丞、喜三郎、常助、松四郎、辰之丞、治助、政吉を百姓代とし」とあるし、『逸伝』もほぼ同様であるが、名主が一人で継続し、百姓代がこれだけ多人数で交替するのも不自然である。ここでは一応名主は三人の交替と考えておきたい。