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安政五年当時の方針

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 幕府・箱館奉行の意向を直接的に示す史料は見出していない。しかし、これまで松前藩によって布教の道を閉ざされていた西本願寺が、直轄によって蝦夷地進出を願い出、その結果安政四年暮にサッポロに寺庵建立の指示を受けるが、これに関連して、安政五年四月、橋本伊佐衛門の書状中「サツホロ之儀ハ人家モ無之、大ニ歎居リ候処、同地ハ蝦夷地中央四方平面之地ニテ、地之利宜処、亀田同様城下ニ可被致由ニテ、調役、同下役、同心等追々引越ニ相成、且諸国ヨリ男女小供ニ至迄引連レニ相成居」(箱館蝦夷地江御出張所御取立一件 龍谷大学真宗史研究所蔵、傍点引用者)の文言がある。「亀田同様城下ニ」というのは、箱館の城下としての亀田と同じく、イシカリの城下、すなわちこの場合は周辺主要農村地帯とする考えを官側が持っているということであろう。