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旧幕府軍の征討

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 上述のように、維新の草創期の国内外の危機をはらむ情勢の中で、速やかに箱館裁判所から箱館府を設置してそれらの衝に当たらんとしたのであるが、現実にその国内的危機は早くも到来する。それは旧幕府勢力の残党が結集し、明治元年(九月八日に改元)十月二十日噴火湾の鷲ノ木に上陸して箱館に向かった。旧幕府軍の進撃により、早くも同月二十五日に清水谷箱館府知事らは五稜郭から青森へ退去、翌日旧幕府軍は五稜郭を占拠した。以後各所の政府軍を撃破し、十二月十五日旧幕府軍は蝦夷地領有の宣言を発し、入札によって選出された榎本釜次郎(武揚)を総裁とする蝦夷政権が成立した。
 しかし元年九月中に奥羽における征討をほぼ完了していた政府軍は、新たに清水谷を青森口総督とする征討軍を編成し、雪解けをまって翌明治二年四月に反撃を開始した。そして五月十八日、ついに榎本以下旧幕府軍は降伏して五稜郭を明け渡し、再び箱館府の施政に復すると共に、ここに戊辰戦争も終結するに至ったのである。