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札幌本庁の分局・課

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 五年九月十四日開拓使は、北海道を六大部に分轄して本・支庁体制を編成した。この段階で直ちに内部機構の再編には至らず、前身の札幌開拓使庁の分課をほぼ継承していた。それが六年六月三日本庁事務分局分課の布達によって、内局に相当する機構として六局二〇課、外局に当たるものとして二局六課の大きな編成替えをみた(なお支庁事務分課は同年五月九日に布達されている)。
 その後八年十一月二十五日制定の「開拓使職制並事務章程」に基づき、同年十二月二十五日に本支庁および東京出張所を含み、「開拓使分局分課章程」が布達され、本庁の分局・課は七局二七課に改編されると同時に、各局・課の職務内容も初めて制定された。
 十三年十二月二日に先の「開拓使職制並事務章程」が改正された。これにともない本来は分局・課規定も改定をみるはずであるが、それまでの間、一応「局ハ課、課ハ係ト改称」することのみ、十四年七月十六日に布達された(布令類聚 上 職制)。以上の札幌本庁における分局分課とその変遷は表2の通りである。

表-2 札幌本庁の分局・分課とその変遷(明治六年六月~十五年二月)

 上述の内局機構の外に、屯田兵設置にともない八年三月十五日に屯田事務局が設置され、同年四月二十八日に開局した。この事務局もまた十四年七月十六日に屯田事務係と改称されている。