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お雇い外国人の給与と雇期

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 お雇い外国人の給与は一般的に高額であった。特に特定職種の責任者に相当する者は高給である。契約時の年俸を日本円で示すと(当時一ドルは一円)、最高はケプロンの一万円で、これは全国のお雇い外国人の中でも、大蔵省造幣寮主長のキンドル(イギリス人)の一万二五〇〇円に次ぐ給与であった。次いでオランダ人のファン・ゲント(石狩川河口改良水理長)の九六〇〇円、クラーク(農学校教頭)七二〇〇円、ライマン(地質測量鉱山士長)七〇〇〇円、トリート(魚肉缶詰製造教師)六〇〇〇円、ランドルフ(学術教師)五〇〇〇円、クロフォード(鉄道建設技師・土木顧問)とゴージョ(鉱山師長)の各四八〇〇円などが続いている。当時日本政府内では太政大臣が九六〇〇円、参議・各省卿・長官は六〇〇〇円、黒田らの次官級は四八〇〇円である。ただお雇い外国人といっても、清国より招聘の農夫は年俸六九円に過ぎなかった。なお契約更定などの際増給されるのが一般であった。
 お雇い外国人の雇用期間は、開拓使に限らず長期契約をなすことは稀であった。開拓使では当初契約の最高は三年で二二人、二年契約は一二人、一年以上二年未満が二人、一年が二三人、六カ月一〇人、不明九人で、平均すると二年一カ月である。再契約の場合も短期契約で半年か一年の更新であった。ただし再契約を繰り返して長期に及んだ者もおり、ブルックス(農学校教師)は一〇年七カ月(移管後の農商務省雇いを合算、以下該当する者は同じ)、ボーマー(草木培養方)一〇年三カ月、ダン(農業方)九年九カ月、カッター(農学校教師)八年四カ月、清国人の黄宗祐(通弁訳文方、のち兼在函清国人取締)四年八カ月、ペンハロー(農学校教師)四年三カ月、それにケプロン(顧問)の四年などが、通算で長期雇用に当たる。