ケプロンから上述の命令を受けたアンチセルとワーフィールドは、時期的には遅かったが早速渡道し、途次両者は分かれて指令に従い調査・実検にあたった。ワーフィールドは、命令第一項の北海道の鉱山・市井の状況と函館・札幌間の地形との詳細な調査に従事していると、今回の「大眼目」である命令第二・三項の札幌およびその近傍の実検が冬季に入って困難になることを考え、第一項に関しては十分な調査ではないと断っている。そして彼の全調査・実検結果を四年十一月二十三日ケプロンに報告している(開拓使顧問ホラシ・ケプロン報文)。
ここで札幌およびその近傍に関する報告の要旨を紹介すると、まず札幌に関してはその冒頭において、「蝦夷ノ首府ト為スベキ程ノ一大都府ヲ建テ、且之ヲ永存スルニ宜シキ一大曠野ハ、全島中夫ノ麗ハシキ石狩平野ニ過ルモノナシ。而シテ所轄ノ開墾地モ極テ大ニシテ東西海岸へ通路ノ便ナル地位ハ、札幌府ノ右に出ルモノナシ」と、札幌は本府に最もふさわしい地であると断定している。さらにその理由として、日本海と太平洋の中間にあって、至便・至利の石狩平原に位置すること、温帯中北緯四二度をわずかに隔てて、身体の健康・精神の活発にふさわしい気候であること、島内稀なる水力に恵まれ、本島の貿易および製造の最大要地であること、そしてこれらからみて、札幌は「人煙稠密ニシテ物産多く、日ニ富庶ニ赴クベキノ土地タリ」と評価している。
次いで札幌の近傍に関しては、上流六〇英里ほどまで船舶の航行可能な大河の石狩川があり、流域には良材を製しうる森林と、上流には石炭層もある由で、この石狩と札幌とを堀割をもって連結するならば、島内廻漕に供せられる唯一の河であり、札幌の繁栄になお便宜を供与するであろうと述べている。
また札幌の西方陸路三〇英里に位置する小樽湾については、湾内は狭少であるが水深あり海底も良好で、巨大な船舶の碇泊も可能とし、かつ狂風暴雨にも抗しうる。またこの港は一大外国の領地(ロシア)に接近していて軍政上も重要であるが、唯一最大の欠点は十一月中旬より四月上旬までの本道西海岸に吹く強風で、この間は帆走船または汽船でも航行は危険であり、したがって小樽はいわば夏の港であるとしている。このため札幌は小樽港のみに依存することは不可能で、たとえ鉄道を敷設するとしても地形が悪くまた失費も多大となり、策の得たるものではないと考えている。
そこで、「札幌ノ地位タル、他ノ諸地方ヲ管轄シ、真ニ全島ノ首邑トナスニ形勝ノ地タルヲ以テ、之ヲシテ至大ノ便利ヲ生ゼシムルヲ要セバ」、この西の小樽港と共に、他方で東の室蘭港とも「尋常ノ道路又ハ一層良好ノ運輸法ヲ設ケ」て連接させることが不可欠であると論じているのであった。