開拓使並びに
札幌県統治下、札幌への物資の流れは主として小樽港を通じて日本海ルートでなされていた。小樽から本州へ出されるものは主に海産物であった。逆に「輸入ノ最モ多キ物品ハ米、塩、味噌、醤油等ニシテ米ハ
新潟、伏木、酒田、青森等ノ各港ヨリ輸入シ、塩ハ竹原、三田尻、酒ハ大山並ニ大阪、越後最モ多ク、醤油ハ酒田、
新潟、青森等ニシテ、味噌ハ重ニ津軽ヨリ来ル」(明治十五年
札幌県勧業課第一回年報)とある。ただ鉄器類は大阪からも来たが、石油、金物、高級呉服などは東京、横浜を主とした東廻りによっていた。したがって東廻りのもの、札幌の地場で生産されるものは別として、札幌市民の日常の生活物資は小樽仕入れでもたらされていた。こうした物資の流れにしたがって小樽、札幌の商業人は、三越(
新潟・富山・福井)出身者が多くなっている。また札幌の物価は小樽より高価になっていた。いま主な食料品について、当時の札幌、小樽の年平均価格の差は表19である。
| 明治16年 | 17年 | 18年 |
精米(1石) | 札幌 | 7円842 | 6円483 | 7円642 |
小樽 | 6.256 | 5.700 | 7.193 |
醤油(1石) | 札幌 | 15.041 | 14.050 | 14.792 |
小樽 | 11.375 | 10.287 | 9.523 |
味噌(1貫) | 札幌 | 0.194 | 0.156 | 0.178 |
小樽 | 0.173 | 0.136 | 0.132 |
塩(1石) | 札幌 | 2.308 | 2.256 | 2.436 |
小樽 | 1.118 | 0.648 | 0.992 |
なお絹布など高級呉服ものは東京より函館経由で小樽、札幌に移入されているが、
今井藤七などは東京直仕入れを行っている。