兵村は中隊をもって形成したから、その編成基準が村の基底をなし、軍制上は「徒歩憲兵」、すなわち陸軍歩兵隊の制になぞらえた。募集した
屯田兵を五人一組にし伍をつくり、内一人を准
伍長とした(「准」は「準」が正しいというが、慣用に従った)。その六伍(准
伍長六人、兵卒二四人)に准軍曹二人、准少尉一人を付して分隊をつくり、准少尉は分隊長を勤める(計三三人)。その四分隊に准中尉一人と喇叭(ラッパ)卒四人を配し小隊をつくり、准中尉は小隊長を勤める(計一三七人)。この二小隊に准大尉、准曹長各一人を配し中隊をつくり一兵村が成立する。准大尉は中隊長で兵村の最高責任者であり、准中尉二、准少尉八(士官)、准曹長一、准軍曹一六、准
伍長四八(下士官)、兵卒一九二、喇叭卒八の合計二七六人によって編成されることになる。
開村時からこうした編成が完成したわけではなく漸次充足につとめたが、常に異動による変更を生じ、制度の改正もあった。十五年
屯田兵事務が
開拓使から陸軍省へ移管となる直前の編成は表3のようで、定数よりかなり少ない。定員二四〇人(戸)に対する兵卒と准
伍長の充足率は琴似八五パーセント、山鼻八〇パーセントで、昇任した准曹長、准軍曹を含めても八八・七パーセント、八四・二パーセントだった。なお、喇叭卒は
屯田兵の子弟から採用され、隊外員は元来
屯田兵員で兵村に籍を置きながら研修訓練等のため在村しなかったり、
屯田兵の事故死亡等で家族が兵役を相続できぬまま在村している者の数である。
表-3 琴似(第1中隊),山鼻(第2中隊)の編成員数(明治15年1月現在) |
| 中隊基準数 | 琴似 | 山鼻 | 合計 | 備考 |
中隊長 | 1人 | 1人 | 1人 | 2人 | 准大尉 |
小・分隊長 | 10 | 5 | 5 | 10 | 准中尉・少尉、含試補 |
准曹長 | 1 | 1 | 1 | 2 | |
准軍曹 | 16 | 8 | 8 | 16 | |
准伍長 | 48 | 25 | 22 | 47 | 含喇叭卒伍長 |
兵 卒 | 192 | 179 | 171 | 350 | |
喇叭卒 | 8 | 8 | 8 | 16 | |
隊 外 | 0 | 16 | 22 | 38 | |
計 | 276 | 243 | 238 | 481 | |