「
開拓使仮学校則例」では二年後に専門科を設置することとされており、七年十一月に校長
調所広丈の名で黒田長官あて開設願が提出され、これによって農業専門科の設置が決定した。これに基づいて教科科目、教師、経費等の検討が行われたが、特に教師についてはマサチューセッツ農科大学の現職学長であるウィリアム・スミス・クラークを一カ年契約で教頭とすることとなり、さらにクラークの推薦でウィリアム・ホイーラー、ダビッド・P・ペン
ハローが雇い入れられた。一方
札幌学校および東京英語学校、東京開成学校生徒を対象に入学試験が行われ、合格者のうち二四人が入学することとなった。専門科の開校式は九年八月十四日に
札幌学校で行われ、その際黒田は欧米の科学的農業を摂取して、
北海道のみならず日本全国への普及が必要であると、同校を日本の新しい農業の研究・普及の中心として位置づけ、またクラークは節制を守り、勉学に励み、社会的に重要な役割を果たす人材たれ、と訓示した。ついで九月八日付で正式に
札幌農学校と改称された。また同校には本科(専門科)入学のための予備教育機関として修学年限三カ年の予科が設置され、同十四年から四年制となったが、中退者、落第者が多く、十分な機能は発揮していない。
写真-4 ウィリアム・S・クラーク