この時期で現札幌市域内で公認されたのは三吉神社一社であり、かつ創始から公認の期間も短い。
同社の創基は、明治十年に豊平河畔に秋田県人木村藤吉が、同人の尊崇する秋田県三吉神社の祭神(藤原三吉命)を祀ったのが最初といわれる。木村は現在の社地に当たる地を五年に割渡しをうけており、おそらくこの頃に移住したものと思われる。十二年四月に木村の名でその地に神道説教所建設願を提出して許可を得(神社教導書類 道文三一二四)、十三年十二月に無格社となったが、この際祭神は大那牟遅神、少彦名神として願い出、許可されている。
ついで十五年六月に村社昇格願を木村ほか信徒総代および同神社祠掌若林嘉倫の名で正式に提出したが、この際の祭神は前記二神、配祀として藤原三吉、相殿として琴平宮・菅原宮となっている(札幌県治類典 道文七四〇八)。神社公認にあたって、国家神道に照して祭神の追加・変更等の行われることは、道内開拓地では珍しいことではない。昇格願は同年十月に許可されている。例祭日は五月八日で、氏子数は十四年二月現在で三九戸と記されている(開拓使公文録 道文五〇七六)。