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日登寺

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 本龍寺と同じ日蓮宗寺院である本寺の創建は、九年春、琴似村の日蓮宗信者が前記妙見堂の建物を移築し、移民の奉持した清正公像を祀り清正堂(参詣堂)としたのに始まる。三沢日澄がこれによって布教を行った。すでに十年八月に、「三沢日澄宅」での説教届が提出されており(寺院教導書類 道文二四七八)、十三年三月中に説教所を建設したが日澄は十四年に他に移った。その後は経王寺住職が兼務していたが、十五年三月創立願を提出し、同十三日付で許可された。当時檀家戸数六〇戸であった。