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区画改正の方針

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 この当時の区画整備に関する方針は、関係する勧業課地理係、租税課地券係、土木課土木係の十五年八月三十一日付の次の伺から推察できる。
当市街の路線に誤あるを以て、旧開拓使に於て改正方着手相成候処、為めに生する民有地積の増減及び在来の家屋に係る等の支障あるを以て、実地は、多分尚旧の儘に相成居候得共、正誤の議は、到底施工せされば難相成に付、支障なき分より漸次着手の年を俟て、完全の義と相心得可然哉
(札幌県治類典 道文七四三六)

 この伺への指令は不明であるが、係が示した区画改正の方針は、早急の処置をとろうとするものではなかった。さらに別件で区画整理の処理を迫った地券係に対し、地理係は十六年五月二十三日、分掌の違いを指摘しつつ次のように区画改正の方針を述べている。
然るに当市街改正の義は、十一年中旧開拓使に於て、起業実測相成候得共、市街各所共、家屋建築相成居候に付、実地改正の義は、漸次時機を計り着手、十数年の後、始めて完結可相成筈を以て、十中の八九は、改正未済に候得者、此度の分にて完結すへき義には無之
(同前 道文八〇六八)

 さらに地理係は、開拓使地理課から引き継いだ担当係として処置を行う旨回答した。やはり区画改正は十数年かけて慎重に行うものと判断している。札幌県は、為政者も土地所有者も札幌県、内務省、農商務省、工部省さらに個人と多数になり、複雑になっている現状を踏まえた処置をしようとしている。特に私有地の存在は、近代社会へ移行しつつある日本の社会にとって、為政者が無視をして区画改正を進めることのできないものであった。この点札幌に私有地という意識がまだ薄かった岩村判官時代の御用火事を契機とした区画確定とは、様相を異にしている。