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(2)札幌製粉場

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 製粉場は十九年九月、区内南二条西六丁目在住の宮原景雄に、同月より二十二年三月まで二年七カ月間貸与とした。貸下物件の抵当として該物件価格の半額一〇二〇円に相当する公債証書、地所、建物の提出、貸下料として純益金の五パーセントを半年毎に上納のこととした。十九年から二十年八月までの一カ年の経費は一六五三円にのぼったが、小麦、玉蜀黍、蕎麦の製粉及び大麦等の挽割高二二八石余、代価六〇七円余であったので、収支一〇四六円の損失をみた。よって宮原からの願で土地、建物、諸器械を合わせて九七一円七五銭三厘を一〇カ年賦払下げとしたが、二十三年に年賦一割引五カ年賦に改められている。払下後精米機を設け精米挽割を業とし、本場を三扇工場と称えたが、のちに札幌第二製粉場と改めた。
 新製粉場は十九年十一月宮原ほか後藤半七(南二西一)、岡田佐助(南一西三)、谷吉三(南三西三)、野村忍助(東京築地飯田町)、小林十郎(新潟県)、木原慶輔(南一西二)ら七人に地所、建物、器械、器具、備品代計一万八八〇八円八一銭八厘を十九年十二月より三カ年据置き、二十二年十二月より向こう一〇カ年賦をもって、毎年十一月二十日限り上納とした。しかもこれら金額完納までは払下の建物器械器具備品共抵当として道庁へ差出しのこと、なお原料の小麦買入はその年の東京、大阪、宮城の平均相場を下回ってはならないとしている。
 なお払下前の経費製造額は表2のようであった。新製粉場はその後販路を拡大し、生産高も表3のように増加し、二十九年に米国のノーエ会社より一昼夜二〇〇石挽の新式製粉機を購入し、三十三年二月新工場を北五条西七丁目に増設し、三十四年竣工、三十五年経営の便をはかり旧工場の機械を新工場に移し工場の一本化をはかった。しかし、その間資本金一〇万円で設立した札幌製粉株式会社所有となって新発足し、四十二年には株式の大部分を神戸市の合名会社鈴木商店に売却、同時に汽缶を増設し工場全般の設備を完成、生産をさらに拡大した(北海道産業発達史)。
表-2 明治19年札幌製粉場経費及び製造高
【職員4人/職工(男)4人/原動機 蒸気1,馬力35】
科 目金員製造品名数量代価販売品名数量代価
俸 給800円000最上粉7500斤247円000最上粉5121斤165円805
諸 給369. 170壱番粉70150 2214. 118壱番粉95100 2642. 502
庁 費90. 683弐番粉16350 327. 000弐番粉9900 198. 000
農工事業費3728. 237三番粉7050 105. 750三番粉4950 74. 250
旅 費10. 2602280 64. 9605400 37. 800
営繕費52. 58527400 184. 28034474 241. 410
総 計5050. 935130730 3143. 108154945 3359. 767
1.販売額の製造額超過は前年度製造の越品による。2.『北海道庁第一回勧業年報』より作成。

表-3 製粉場製粉高
年 次製粉高金 額
明治19年12月
 ~20年11月
1150石6095円
明治25年中458025190
北海道通覧』より作成。