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興産社(製藍業)

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 製藍は開拓使の製煉課で試みられていた。十五年五月、篠路村で徳島県出身の滝本五郎らが資本金二万円で興産社を起こし製藍事業を行っていたが、事業の拡張を計り二十一年本社を札幌に移し資本を五万円に増資し、二十二年九月をもって北四条西一四丁目に工場を設置した。これに先だって滝本五郎らは二十一年七月道庁に対し、事業拡充に際し費用多く利益が期待できないとして利子補給を出願し、道庁においても製藍事業は本道に適するとして、二十六年七月まで満五カ年間現株金額に対し五朱まで利息の不足額の補給を認め、製藍の業を行わせている。
 原料は大部分篠路、丘珠、苗穂、札幌、豊平、白石、月寒、山鼻、琴似の九カ村に求め、ほかに石狩郡高岡、余市郡仁木二カ村より若干購入していた。主生産品は染藍、藍玉の二種、二十二年から翌二十三年にわたり藍靛(らんてん)(染料の一種)を試製し好成績を納め製造を続けた。二十四年は凶作で原料が不足し、また粗悪のため良品を得ることができなかったが、二十五年は原料、生産ともに順調に復した。だが製藍はやがて安価な人造染料の輸入によって収支の合わないものとなり、三十年以降興産社は藍の製造を中止し、やがて会社も解散するに至った。