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家族

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 後期兵村では単身者を認めなかったので、すべての兵員に数人の家族がともなった。その増減の様子は表3の通りである。両兵村の入地が完了する二十二年でみると、新琴似は一戸平均四・九人、篠路は四・八人であるから、兵員を除くと三~四人の家族がいたことになる。その中で二十二年から二十三年にかけての急増、二十四年から二十五年にかけての減少が注目されよう。二十七年には新琴似一戸平均五・九人、篠路五・八人と、いずれも家族数の増加をみたのである。
表-3 後期兵村の戸口数(明治20年~28年)
戸口新琴似兵村篠路兵村合 計
人 口人 口人 口
家族家族家族
20年146戸146人522人668人-戸-人-人-人146戸146人522人668人
21年22022081110312202208111031
22年2202198511070220218834105244043716852122
23年22021210871299220217971118844042920582487
24年220212111313252202041020122444041621332549
25年2202039761179220194969116344039719452342
26年22020110021203220207996120344040819982406
27年220202110013022202101070128044041221702582
28年74683414092202091073128229427714141691
北海道庁統計綜覧』による。

 あわせて前期開設の兵村についてみると、一時人口の停滞傾向にあった琴似・山鼻兵村は、二十年代に入って増加に転じ、二十七年には琴似一六一〇人、山鼻一四四五人となった。兵員は各二四〇戸中前者が一四九人、後者が一六四人と減り続ける中で家族数が大きく伸びたことになる。
 札幌の四兵村入地が完了した二十二年では兵村戸数合計九二〇戸、兵員七九二人、その家族数三九八二人であるから、兵村人口は四七七四人である。最多を示すのは二十七年で、戸数は同じく九二〇戸だが兵員は七二五人に減じ、その家族が四九一二人と増加した。したがって兵村人口は五六三七人に達したのである。翌二十八年に琴似、山鼻、新琴似二十年入地者が後備役となり町村の一般人口に繰り込まれ、残った新琴似二十一年入地者と篠路兵員がともに二十九年三月末日をもって予備役を終了したので、兵村人口統計はこれをもって形式的には消滅したことになる。