村としての教育費は、区よりはるかに史料が少なく、今のところわずかな事例によるしかない。たとえば二十四年度における白石村の支出予算総額は一六五円六六銭であるが、そのうち教育費は一六三円六六銭で、二円を除いてすべてが教育費である。収入は繰越金が五円二一銭二厘、地租割一六円九五銭二厘、教育費雑入(授業料)一二円、営業割二〇円七六銭、戸別割一一〇円七三銭六厘、計一六五円六三銭(計は三銭合致しない)となっている(白石村集会決議録 道開)。これによると、まず村費はほとんどすべてが教育費であり、また収入中授業料の占める比率も少なく、大半を戸別割等によっている。すなわち、ここでは受益者負担の思想は薄く、税をもって維持する方法をとっている。また二十六年豊平小学校の収入予算では授業料二〇円、村費二六八円五〇銭、繰越金一四円となっており、村費は基本的には白石村と同様と考えられる。
このほか、山鼻村では従来村費としては教育費のみを賦課してきたが、二十七年度から資本金利子等で支弁することとなり、したがって村費賦課を行わないこととなったという事例もある(北海道毎日新聞 明治二十六年十一月二十六日付)。