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北星女学校

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 十三年に米国長老教会婦人伝道局から派遣されたサラ・クララ・スミスは、十六年に東京で得た病を養うため札幌へ転地し、同年函館に居住して伝道のかたわら英語等を教授していたが、二十年一月に北海道尋常師範学校の英語教師として来札し、翌二十年一月、スミスが函館から連れてきた七人の生徒を対象に私塾を開校した。その後生徒は増加し四〇人に達したので岩村長官は校舎等を新築、貸与し、同年八月に「女学校開業式」を挙行し、翌九月には幼稚園を開設した。二十二年九月にスミス女学校の名称で予科、本科、および幼稚園を附設する私立学校として正式に認可されたが、この時点では校主が大島正健、校長は二代目として田中穎子となっている。二十四年に校則を変更して高等普通科をおき、二十七年には旧北海英語学校の校舎と敷地を買収、移転し、校名を北星女学校と改めた。高等女学校程度の認定をうけたのは、三十四年である。