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篤志看護婦人会の設立

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 日赤道支部の仕事は、それまで社員の獲得と有事に備えての義揖金勧誘を主としていたが、二十六年六月には篤志看護婦人会を組織して戦時軍人患者看護法を修得することとした(同前)。これは二十年、有栖川宮熾仁親王妃董子をはじめ二九人の発起人と賛同者が日赤に参集して設立したもので、篤志看護婦人会規約にある「戦時軍人患者ノ看護法ヲ研究スル」ために、会員は一定期間にわたって軍医から看護法と救護法の講習を受け、修了者には修了証が渡されることになっていた(近代日本看護史Ⅰ)。
 北海道でも、これにならって二十六年七月篤志看護婦人会規約を設け、着々と準備を整えた。翌二十七年一月の篤志看護婦人会の席上で、同会特別会員軍医山上兼善は、会員夫人令嬢五〇余人に向かい、「夫れ看護会は一方には国家に尽す美挙にして又一方には自家傷病者ありしとき大に益する事業なり(中略)看護学こそ貴要欠く可らさるものにして決して卑賤の業にあらす何となれは貴女他に嫁して舅姑に事ふるの日舅姑疾病あるに際し曽て看護法を知らは其痛苦慰め得る」と説き、赤十字同盟国と肩を並べられるよう看護婦人養成を目指す意志があることを伝えた。
 この意志を受けて、看護婦人約五〇人は、日赤道支部(大通東二丁目偕行社内)に招集され習い覚えた繃帯術の復習を行ったり、同年五月の日赤副社長花房義質の来札の折には繃帯術を閲覧に供している(北海道毎日新聞)。有名夫人・令嬢がその主な担い手であった。